【僕が会社を辞めるまで】第一章:プロローグ

はじめに

 

まず初めに、これは僕が大学卒業後から8年間ずっと勤めていた会社を辞めるお話です

 

これを記事にしようと思ったのには2つ理由があります

①後々改めて見返した時の備忘録として整理しておきたかったから。

②僕と同じような状況で、同じように悩んでいる方の背中を少しでも押せたらと思ったから。

自己紹介(転職前の状況)

改めてカンタンに自己紹介をしたいと思います。

名前:TOMO

年齢:32歳

前職:大手メーカー(ただし超ニッチ業界)

職種:既存製品の改良品設計、新製品向けの部品設計・開発(主任)

勤続年数:8年(異動経験あり)

スキル:CAD、プログラミング(Python歴1年、独習、業務経験なし)、VBA(少々)

資格:運転免許、ITパスポート(実はこれは転職活動中に取得)

年収:約600万

我ながら改めて文字に起こすと勤続年数に対して大したスキルや資格が無い。。。

会社を飛び出て『転職』するにはあまりにも心許ない装備です・・・

RPG風に例えるなら、『ゆうしゃLv.1』と言ったところでしょうかね

勇者レベル1

いままで何も考えず、会社の看板だけで働いてきたツケってヤツですね

これまで会社の知名度を自分の力と勘違いし、

挙句何かと理由をつけて大した努力もせず、ただ目の前の仕事だけして生きてきました

 

その結果出来上がったものが・・・

【ノースキルポンコツ30代

 

残念ながら端的に言って転職市場的には『いらない子』です

 

しかも厄介なのは今まで培ってきた唯一の武器である「設計スキル」も

『前職(超ニッチ業界)でしか通用しない設計スキル』で他の業界での製品設計には全く応用が利かないものだったんです・・・

(思い返せばこれが後に転職活動が難航する原因の一端となります・・・)

 

にも関わらずそんな事とはつゆ知らず事ここに至るまで危機感すら覚えず生きてきました。

 

過去の自分に言いたい・・・

「いくらでも時間があったんだから、資格取るなりスキル磨くなりしとけ、バカタレ!!」

転職を決意した理由

実は仕事辞めたいという思いは実はずっと前からありました

その①:やりがいも充実感もない、むなしさと不安感

会社に勤め始めてから8年、実は仕事に対して

・やりがい

・充実感

と言ったポジティブな感情を微塵も感じたことが無かったんです←

 

逆に仕事に対して唯一あった感情は、「今日も何とか一日無事にやりおおせた」と言う

『安堵感』

だけでした。

(本当にヤバいです、逆によくこれで8年も社会人やってきたなと感心すらします)

 

仕事で得られる物も「カネ」と「勤続年数(=年齢)」だけ。特に為になるスキルが身についている実感もなく、働けども何とも言えない虚しさと、このままで良いのだろうか?という漠然とした不安が蓄積されていきました

その②:未知の脅威(コロナ)への対応で見えた、会社への不信感

加えて露見した会社への不信感

きっかけはコロナという未知の脅威への対応でした

 

コロナ蔓延で日本中でとにかく人流と接触を制限しようという働きが加速する中、前職では対応方針決定と試行が恐ろしく遅かったのです。

 

日本中がヒステリー状態に陥った『第一回緊急事態宣言』の時期ですら

とりあえず出社率50%目標』とする始末。

そして緊急事態宣言が明ければ何事もなかったかのように在宅勤務は解除

 

結局のところ『人命より生産性』が透けて見えている様で残念に思いました

まぁ、腐っても製造業なのでね

そりゃ現場に来ないと話にならんと言うのもわからんではないですよ・・・

でも、なんかねぇ。。

 

今後もコロナに限らず『未知の脅威』に対しては同じように考えるんだろうな。と思った瞬間一気に冷めてしまい、同時に

会社に対する強烈な不信感

を強く感じるようになりました

その③:会社にしがみつくリスク、先細りするキャリア

業界的にもキャリア的にも正直なところ将来性は暗いな、というのはずっと思っていました

 

詳しくは言えませんが、まずは業界が超ニッチ

しかも主力製品は今後、十数年内には代替技術にとって代わられお役御免になるのは目に見えている

おまけにその技術転換スピードは年々加速している状況・・・

 

虎の子の新製品開発も、ふたを開けて見れば未経験者の寄せ集め集団で知見ゼロからの発進

しかも参入業界はほぼ毎日新聞で他社の新技術が紹介されている

超レッドオーシャン業界

正直、開発進捗では現時点でも他社に数段後れを取っている始末・・・

こんな状況で本気で超戦の業界に殴り込みをかける気なのか???

 

今は好調に見えますが、このままではジリ貧

10年後、20年後の業績不振は目に見えています

 

にもかかわらず膨れ上がる従業員

ここでもし急に「君らみんなは面倒見切れないので申し訳ないけど辞めてください」

なんて言われたら相当ヤバいですよ?

 

なぜならその時の自分は

『社内でしか通用しない40~50代オッサン』

 

こんな人間が急に外の世界に放り出されたら、それこそ終わりです

 

家事育児・勉強・仕事の三重生活、体調不良、そして休職

注意!

そんなことを考えていたら日々の仕事も身が入らず

「もう仕事なんて最低限やって、自力で他所でもやっていけるスキルを身に着けよう」

と思いました。

まぁ、実はこんな事を考えたのが約1年前

ここから仕事と家事・育児をしながら勉強という三重生活が始まります

自己研鑽で武器を身に着けよう

スキルを身に着けよう!と思い立ちました

 

で、それじゃ何をしようかなと考えた時

「やっぱ時代はITでしょ!!」

ということで、プログラミング(Python)を勉強することにしました

 色々なプログラミング言語

『目指せエンジニア転職!』

『フリーランスでイッセンマン!』

 

じゃないですが、

ITはどこでもつぶしが効くスキルだと思ったのでまずは自力で勉強する事にしました

 

家事育児の負荷増大、そしてパンク

そんなこんなでやっているうちについに娘氏がイヤイヤ期に突入

同時に妻が第二子を妊娠し地獄の悪阻(つわり)期に突入・・・

妻が家事・育児ができなくなってしまったので、ほぼすべての家庭内業務は僕が請け負うことになりました

 

ただでさえイヤイヤ期の女児の面倒はハードワークです

しかも妻の悪阻はかなり重度で

「食べたら吐く、食べなくても吐く、臭いで吐く」

という、もうかなり地獄な状況💀💀💀

 

結局自分も妻と同じものを食べる毎日(ほぼ毎日うどん)で栄養が偏り食欲減衰

大好きなコーヒーもお酒も臭いがきついので禁止したところストレスレベルはあっという間に臨界状態

 

こんな生活がデフォルトで、仕事も年末に向けて徐々に負荷が増えてきた(のに人員は増えず。むしろなぜか減り続けた)ところ、いとも簡単に限界を迎えました💀

 

ちなみにその時に現れた症状は以下

  • 食欲減衰、1か月で体重が3kgマイナス
  • まともに頭が回らず朝食の準備の手順がわからなくなる(卵焼きが作れなくなりました)
  • 常にイライラして言動が荒っぽくなる
  • 毎朝、動悸と吐き気が収まらない
  • 視界不良(目の霞み)、皮膚病(ヘルペス)多発

産業医面談で最後の絶望

ここまで来たらもう限界

藁をもすがる気持ちで産業医の面談を受けることにしました

「産業医からドクターストップ出ればしばらく会社休めるかも・・・」

なんて淡い期待があったわけですが

 

いざ実際に面談してみると、これがまた話の通じないオラオラ系産業医

  • 診察中ずっと足を組み、カルテを投げるなど粗暴な態度
  • 大声で高圧的、断定的な物言い
  • 同席する人事担当に横柄な態度
  • こちらの意思はお構いなし、会社の都合重視の忖度診察
  • 挙句、自分の経営する精神科を宣伝(誰が行くかバカタレ!)

 

結局、診察結果は

「まぁ、ちょっと身体にキてるけど、『この程度』なら全然働けるんで、しばらく残業無しにしとくから頑張ってみてよ。どうしても休みたいなら病院行って診断書書いてもらえば?」

(なにこの仕打ち??と言うか、既に残業は自己セーブでほぼゼロなんですが…つまりこれって実質何も処置無しって事じゃん…)

あ、そうか、産業医も所詮は会社側の人間

僕らなんて生かさず殺さず使い倒せばいいと思ってるんだな。

 

こんなクソ産業医を飼いならしている会社に対してさらなる失望を覚える

もういいよ。明日病院行くわ。

心療内科受診、即日ドクターストップ!!

身も心もズタボロのぼろ雑巾状態の僕は翌日、たまたま予約が取れた金山の心療内科を受診

 

実は以前にも近所の心療内科を受診したことがあったんですが、

そこの先生はほとんど話を聞いてくれる人じゃなく、問診票と簡単なアンケートだけ取ってあとは

「で?何?診断書?診断書欲しいの?」

的な糞医師だったので正直心療内科というものにそこまで期待はしていませんでした

 

そんな経験があったんで「もう、それこそ診断書だけもらえればいいや」くらいの気持ちで受診したんですが、ここの先生はとても温和で丁寧な人でした。

僕の話も親身になって聞いてくれるタイプの人でしたので、今日ここに至るまでの顛末を全部ゲロってみたところ

「その産業医の対応はありえませんね。」

「体に症状出てる時点でもう限界です。現時点でもう仕事は無理なので、明日から休んでください。

ゼッタイ!!

まずは一か月で診断書を書くのでそれで様子見ましょうね。」

 

即座に『経度うつ症状 休職』との診断

先生「これ持って職場行ってすぐに休職してください。まずは体を休めましょう。話はそれから。」

 

診断書を握りしめ翌日出社。上司に提出したところ

カンタンな申し送りのみで、即日帰宅指示

 

いとも簡単に休職となりました。

 

帰りの道中、気になっていたカフェでアイスコーヒーを注文し一服しながら今後のことをぼんやりと考える。

 

(これで会社行かなくていいのか。とりあえず好きなことやって休もう)

(いい機会だしもう、会社は辞めよう。回復したら転職活動かな)

てか、このコーヒー美味ッ

 

【僕が会社を辞めるまで】第二章:休職、そして転職活動開始

へ続きます・・・

【僕が会社を辞めるまで】第二章:休職、そして転職活動開始
前回までのあらすじはこちらの記事をご覧ください↓↓休職・そして転職活動開始この記事では休職中の生活について実体験を時系列的に語っていきます現在休職をお考えの方、この記事を読むことで僕が実際にどんな生活を送っ...

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