我々男性にとって
仕事×家事×育児の三重生活(トリプルワーク) はもはや当たり前の時代となりました
そんな生活の中、毎日「妻の為」に尽くしているハズなのに
なぜか評価が上がらない
今回はこの事態について考察しました
妻の為に頑張っても評価は上がらない
残念ながら「妻の為」に頑張ってみても
妻からの評価は一生上がりません。
それどころか
下手をすれば、やればやるほど不愉快に思われいます。
行為の価値・評価は相対的だから
いきなりちょっと抽象的な話をしますが、
行為そのものは同じなのに、時と場合そして行う者が変わる事によって
行為の価値・評価は変わります
例えば
「家事育児は女の仕事」なんて言っちゃう、昭和マインド時代錯誤野郎が珍しく皿の一枚でも洗おうもんなら
「え?お父さん何かあったのかしら?」
なんて驚かれます
一方で「家事・育児は自分がして当たり前」型の令和パパが同じ事をしても
「ああ、今日もお皿洗っているのね。」
と思われるだけでしょう
どっちもただお皿を洗っただけであって、やった事そのものは同じなのに、
行為の価値・評価が全く違ってきます
なので、そもそも論として
「もともと家事・育児に積極的な姿勢」を示した時点で既に
妻から(家族から)評価されにくい宿命を負っている事になります
人が人を評価するのは「加点法」でなく「減点法」だから
人間が人間を評価するとき、特に自分と親しい人を評価する時、なぜか僕らは
減点法を使って評価してしまいます
要するに、人は誰しもが知らず知らずのうちに、自分の中に「彼・彼女のあるべき姿」を描き
それに対して、「実際どれだけ下にズレてるか」という見方をするわけです
なので(たとえ家族とは言え)他人からの評価においては
100点満点が貰えることは絶対にありません
「当たり前レベルが」上がってくるから
更に厄介なのは、
そもそも当たり前レベルが高い男はその姿を見せてしまうほど、
次は「もっと高い当たり前レベル」を要求されるようになります
つまり 求められる期待値が意識レベルでどんどん底上げされる んです
男の苦しみは共感されない
昨今、ちょっとネットやツイッターを叩けば
「母の苦しみ・女の苦しみ」
に関する記事は山のように出てきます
試しに家庭・育児の苦悩をキーワードで検索してみると
見事に母目線・女性目線の内容で埋め尽くされています
少なくともネット上では
母目線・女性目線の苦悩は共感してくれる人が沢山いるという事です
なので女性的には自分の苦悩は何処かの誰かが同じように共感してくれているので、
「この苦しみ自分だけじゃないんだ」
と安心する事ができます
一方で、男性目線の内容はネットではあまり見かけません
なので、男性が女性と同じ様なモヤモヤを感じてネットに共感を求めてみても、
あまり共感が得られず、むしろ孤独を感じて終わることは良くてあります
「育児 家事 つらい」
なのは女性だけじゃない!男性だってつらい!むしろ男の方がつらい!
そう感じたくもなってしまいます
何がいけなかったのか?
そもそも「誰かの為」なんて言うモチベーションがナンセンスで
もしそれを「言葉で」伝えてしまったら最悪です
これをやってしまうと、2つの悪影響を与えます
1つ目は
「この人は私の期待に応えてくれる人だ」と言う認識を刷り込んでしまう事
すると次は「当然私の理想の働きをしてくれるはずだ。」
と考え「当たり前レベルのハードルが吊り上がっていく」のは自然な流れです
そして2つ目は
「あなたの為」という「恩」の押し付けは必ず反発の感情を生んでしまいます
「恩」と言うのは時に売られた側からしたら
「別に望んでもいないのに"一方的に"恩を押し売りされた」と感じる訳で、そういった場合
ありがた迷惑も甚だしい
また、対等だと思っていた相手から恩を売られる対象として見られた事で
ある意味で『見下された』と思う『屈辱感』
評価が上がるどころか
モラハラ扱い
されるのが関の山です
どうすればよかったのか
「誰かの為」
と言う間違ったモチベーションを改めましょう。
もともとのきっかけは「妻にラクさせてあげたい」でいいと思います
でもそれを言葉に出すのは絶対にダメです
もし言葉に出したいのであれば
「家族という『組織』全体の為」
と言うくらいが良いです
わざと少し距離をとったドライな言い方にする事で
「決してあなたの為にやっているわけではありませんからね」
とするわけです
こうすることで、自分をそもそも評価の対象から外すことができます
優しいデキ男こそ傷つきやすい
今の世の中
もはやお男性(父親)の方がいろんな面でつらいんじゃないかとすら思います
現代の男性は昔に比べるとはるかに家庭的で
(家事育児に関して)デキる男が多いと言っていいと思います
でも、悲しいかなデキる(と思っていてそれを表に出す)男ほど家庭内での評価は低くなりがち
しかも共感を求めたくても
存外ネットの世界は冷たい
つまるところ男性(=父親)がつらくなる材料が何かと多いわけです
ただある意味、こういう悩みを抱える人はえてして、
優しくて家族に対する愛情が深い人だと思います
それ自体はとても良い事です
ただ、それを誰かに認めてほしいと思ってしまうことが問題です
モチべーションを履違えるな
結局、誰かの為に何かしようとする生き方は最後は自分が傷つく事が多いです
自分が傷つかない為にも
まずは
自分の行動原理(=モチベーション)を履き違えないことが大切
もう誰かの為に生きるのはやめましょう。
あとがき
改めてこの記事を踏まえて、今までの投稿を見返してみました。
すると、期待値のハードルの考え方や、誰かに何かを求めないしない考え方について過去にも触れてました。
ご興味ある方はこちらの記事も合わせて読んでみてください。
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